2012年09月26日

文語文小説は衰退しました(本当の題名:日本語が亡びるとき)

ISBN: 978-4480814968

ものすごい挑発的な題名で思わず目を引いてしまった本書。何かの未来を予想しているのかと思えば、この作者の非常に私的な内面の吐露だったというなんとも肩透かしな内容だったんだけど、ただ作者の内面がものすごいのでそれはそれで面白かったという理由で感想を書きます。
なんじゃそりゃと思うかもしれないけど俺も読んだ時なんじゃそりゃと思ったんだよ!
 
はじめは何やら自然言語の歴史とか仕組みとかの話が始まるのではと思って第一章を読み始めてみたんだ。まずは現状の日本語を整理しないことには今後の論は進まないからね。ところがこの本、第一章をどこまで読み進めてもそんな話は出てこない。出てくるのはこの作者がアメリカの小説家・詩人合同合宿みたいなのに参加した話、そこでいろんな外人と会った話、外人がその後勝手に作者の小説を各国語訳してくれたんで儲かった話、外人の祖国が貧しいから作者の着てたコートを見てそれは羨ましがっていた話などなど、っていうかエピソードの後半に行くに従ってなんかえげつない人の印象だな。

しかしこの人が他と圧倒的に違うのは根底に流れてるこのえげつなさであって、人間や文明に貴賎やら上下関係やらが歴然とあるという前提を臆面もなく語るのを見るがこの本の最大の魅力なんですよ!普通こういうのは直感的に思っていても対外的には言わないし、ましてや出版される本に書かないじゃん?

ここを理解すると、なんでこの本で作者がこんなことを言っているのか、というのがやっと理解できる、と俺は思っている。実のところ、三章辺りまで読み進めた段階では日本語が滅びる理由も過程も全然書かれてなかったので、題名の意図が全然理解できなかったのですよ。で、不審に思って一章の最後の方を見なおしてみると

今の言語学の主流は、音声を中心に言葉の体系を理解することにある。それは、文字を得ていない言葉も文字を得た言葉も、全く同じ価値をもったものとして考察するということであり、<書き言葉>そのものに上下があるなどという考えは逆立ちしても入り込む余地がない
[...中略...]
いうまでもなく、私が言う「亡びる」とは、言語学者とは別の意味である。それは、ひとつの<書き言葉>が、あるときは空をかけるような高みに達し、高らかに世界をも自分をも謳いあげ、やがてはその時の記憶さえも失ってしまうほどに低いものに成り果ててしまうことにほかならない

こんなことを言ってた。翻訳すると、

  1. 言語には上下関係があります
  2. 上の言語は世界や自分を謳いあげる能力があります
  3. 言語が亡びるとは、その言語が下の地位に行ってしまうことです
  4. 言語学者はこれを認めませんが、私はそう思っています
4.のあたりでいや、言語学者だけでなくこの作者以外全員がソレは違うと思うぞ、と突っ込みたくなりがちですが、この作者意図的なのか無意識なのか、この認識のままずーっと本を書き進めてるんです。

その果てに生み出したのが、以下の3つの概念

  • 普遍語
  • 国語
  • 現地語

普通はこの手のシチュエーションで言語を分類するとすれば

  • 公用語
  • 母語
 
の2つになると思うけど、この作者は公用語の中でより上位に位置する言語を普遍語と名付けた。で、普遍語は学問に使用するに耐えうる言語で、かつては漢語やアラビア語、ラテン語がこの位置にあったんだけど、インターネットの発達で全世界中で普遍語は英語一辺倒になっていくんだそうな。

ここまでは特に問題ないよね?ところがこの本はここから確変する。英語以外の言語は情報を集めることができないため、(本書では<図書館>に出入りしなくなる、と表現する)学問の使用に耐えなくなり、それによってまともな文学が作られなくなる、と主張するのだ。なんでや、文学関係ないやん!

さすがにここに至って論理の飛躍が指摘されるのではと予測したのか、作者も「現在、新聞や雑誌などで流通している日本語の質は、開闢以来の高さを誇っているかもしれない」と留保はしている。ただし、この作者の中ではそいつはあくまで<現地語>の<書き言葉>であって、<文学の言葉>じゃないんだそうな。(本書内では作者独自の専門用語は<>でくくるルールになっている)

じゃ、<文学の言葉>って何よ、ということになると、<叡智を求める人>が「人間とは何か」という問に答えるためのものなんだそうな。それ以外のものは文学っぽい姿形を見せていても幼稚な大衆文化なんだと。たとえばハリーポッターとか。すごいわこの言い切り。で、具体的な<文学の言葉>の例を探そうとして、この作者の提言する学校教育方針を見てみると、どうもそれは明治あたりの文語文文学のことを指すようだ。

ああ、そりゃ滅んでるよなあ。今更古文調の言葉で文章書く人はいないだろ。
例えばこのブログを文語文で書かんとすれば必ずや人の読むに耐えざる文になるのみならず、「ブログ」の如き新しきテクニカルタアムとも相性悪かるべし。

でもこの人、文語文が好きで好きでしょうがなかったんだよなあ。それは本書のそこかしこで散りばめられている、この人の半生からかいま見えてくる。

  • アメリカのハイスクールでは、英語ができないためにおバカさんクラスに入れられ、アフリカの田舎の子供が使うような(本当にこんな表現使ってたすよ)教科書で勉強させられていた
  • 唯一自尊心を満たせるのは、ジュニアハイスクールでフランス語を学んでおり、フランス語がアメリカ人に自慢できることであった
  • そのフランス語が英語の時代になりだんだん世界の人の憧れの言語から遠のいていった
  • 残る心の支えは家で読み耽っていた明治の文語文文学
  • しかしいざ日本に帰ってみると幼稚な現代文の文章ばかり

元より気位が高く、言語能力以外の知能は普通にあったのに言語に躓いたばっかりにこの半生。そりゃ思わず亡びる!と叫びたくもなるわ。
愛着のある文化がなくなる寂しさは少しわかる気がする。例えば俺が大好きだった理不尽でシニカルで想像力を掻き立てられるゲームブック文化はチョコレートナイトを最後の徒花に消えた。今後は電子書籍によってゲームブックは止めを刺されるんだろうな。だって元からゲームできるデバイスなんだもん、じゃあ普通のゲーム作るよな。きっとこの人は俺のこの気分を数倍にしたような感じなんだろう。

しかし社会学的な知的好奇心を満たすつもりで読んだら、なんか魂の叫びを聞かされた感じですっげぇ意表突かれました。この読書感何かににてる。あ、電波男だ。ISBN: 978-4861990021 これも実は作者の半生の暴露によって完結した魂の叫びだった。それの日本文学版だな。さしずめ。
posted by LoyalTouch at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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