2013年05月17日

「ヒトはなぜヒトを食べたか」感想続き

前回に引き続き、マーヴィン・ハリスの「ヒトはなぜヒトを食べたか」の感想書くよ!

ISBN : 978-4150502102

前回も書いたけど、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」と視点がそっくりなんで、それもからめて。
あと、ジャレドさんやマーヴィンさんが展開している人類史論が、俺らがよく知ってる日本の事例(縄文→弥生)に合致するか検証するあたりまで、
今回の記事で書けたらいいなああああああ。(自信なし)
 

ジャレドと似てるって言ったけど本当に似てる件

前回も気になったこの件。俺、2冊しか読んでないけど、人類学マニアから見ると実は他にもいっぱいあるんすかね?
主に似てる点を上げると

  • 「みんなヨーロッパの現代文明が一番優れてるって思ってるけど、それ勘違いだから」っていう主張
  • 南北アメリカ大陸で家畜化できる大型哺乳類がいない点に注目
  • ある社会の生活様式(狩猟採集とか定住とか)とか倫理とかは、その社会の生産能力とかがキーになっており、文化とか精神性はあまり重要ではない(唯物論ぽい?)
  • なんで中国がヨーロッパに追い越されたか興味津々


最後のやつが超印象的。ヨーロッパより進んでいた文明って、中国の他にもインドとかアラブとかいっぱいあるだろうけど、ふたりともなぜ中国はヨーロッパのように世界を制覇しなかったのかにものすごく注目してる。

というのはやっぱり、↓こういう地図にもあるとおり中国ってヨーロッパに対抗できる唯一の文明圏っていう印象があるんだろうねー。

http://10000km.com/wp-content/uploads/2013/03/European_empires-s.jpg
(ヨーロッパに植民地支配された地域を塗りつぶした図。日中韓の部分だけガッツリ塗り残されている)

アラブはヨーロッパの仲間という意識なのかもしれない。文明史くらい大きな歴史観で見ると、ヨーロッパの奴ら自分たちの文明はメソポタミアから来たと考えてるっぽいから。なぜメソポタミア?それは、ヨーロッパに一番近い四大河文明だから。

意外と世界共通認識?四大河文明

かつて。世界にはエジプト・メソポタミア・インダス・黄河の4つの地域に文明(四大河文明)が興り、それが世界中に派生しました。という歴史を習った。俺の中学時代には。
その後大学ぐらいになって、四大河文明は間違い、世界にはもっといっぱい文明発生地点があるんだよ!っていう歴史観を得て、俺の知識は塗りつぶされたわけだ。

screenshot.28.png

ただし漫画からの知識だが
※信憑性はゴルフは中国拳法が起源レベルの可能性あり

で、大学卒業後、インターネットでいろんなページをみてみると、四大河文明言ってるのは日本ぐらい、欧米では元から無名な歴史観ですよみたいな知識が入ってきて、更におれの脳みそは新しい色で塗りつぶされ!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E

そういうのを念頭に、今回この本を読んで再認識した欧米人の最初の文明の認識を見てみよう。この本の中では他の影響を受けずに国が発生した場所という定義で、第一次国家という用語を当てている。

考古学者たちは、第一次国家の発生した中心地は少なくとも三つ、あるいは八つあったかもしれないということで、同意に向かいつつある。三つの確かな中心地とは、紀元前三三〇〇年ごろのメソポタミア、キリスト時代のペルー、西暦三〇〇年ごろのメソアメリカである。旧世界では、エジプト(紀元前三一〇〇年ごろ)、インダス河流域(紀元前二〇〇〇年になる直前)、中国北部の黄河流域(紀元前二〇〇〇年になった直後)においても第一次国家が誕生したことはほとんど確実である。
(7 第一次国家の起源)
だって。四大河文明+ペルーとメソアメリカ(新大陸の文明)くらいのものじゃん。旧世界に限っては大体認識合ってたんか!
ま、これはマーヴィン著の1970年ごろの認識だけどね。
これがジャレドの2000年の認識だとどうかというと、

紀元前三七〇〇年頃のメソポタミアで国家が成立していたことがわかっている。さらに、紀元前三〇〇〇年ごろの中米で、今から二〇〇〇年前のアンデスや中国や東南アジアで、そしていまから一〇〇〇年以上前の西アフリカで、それぞれ国家が誕生したことがわかっている。
(第14賞 平等な社会から集権的な社会へ)

エジプト外れたー!あと東南アジアってインダス文明でいいの?まあ、マーヴィンのころとあんまかわってないよね。西アフリカがちょっと増えたけど。あと、黄河文明の他に長江文明も微妙に認識しているから中国ってぼかしているのかな?

っていうわけで、日本人にかぎらず、欧米とかでも四大河文明チックなものは大体信じられているみたい。残念ながらドナウ文明はないけど。

狩猟採集民は豊かだった?

あと、両者共通して話題に上げているのは、狩猟採集の時代、人間は現代先進国に匹敵するくらい食生活が豊かで、しかも現代よりはるかに短くしか労働していないっていうお話。

旧石器時代人が、食べるために四六時中休みなく働いていたという考えも、今日ではどうやら滑稽とみなさざるを得ないようだ。
[〜中略〜]
サン族の住むカラハリ砂漠周辺は、植生が旧石器時代後期のフランスとは比べようもないほど貧弱であるにもかかわらず、サン族が蛋白質その他の必須栄養分に富む食事を摂るために必要な労働時間は、成人一人あたり一日三時間足らずなのである。
(ヒトはなぜヒトを食べたか 2 エデンの国の殺人)
とか、

今日、狩猟採集民より快適な生活を送っている食料生産者は、裕福な先進国にしか存在しない。
[〜中略〜]
考古学の研究によれば、多くの地域において最初に農耕民になった人びとは、狩猟採集民より身体のサイズが小さかった。栄養状態も良くなかった。ひどい病気にもかかりやすく、平均寿命も短かった。
(銃、病原菌、鉄 第6章 農耕を始めた人と始めなかった人)

とか。

おお、すんげーじゃん。ふたりとも手放しで褒めてるじゃん。これから脱社畜を目指す人もノマド(遊牧民)ワークじゃなくてハンターギャザラー(狩猟採集)ワークをおすすめするよ!一日三時間くらいゴミ拾い(ギャザラー)とかで生活してあとは寝て過ごすとか。あ、ダメか。

でもよくよく考えて見ればこれ当然で、エネルギーの再生産人的労働で無理やり行うのではなく、自然が回復してくれるまで寝て待つだけだからこうなるんだろうね。今先進国は知恵の力によってそれを克服したかというと決してそういうことではなく、再生不可能な化石燃料を使って楽しているだけなのかもしれないんだけどね。ヘヘヘ。ちょっと怖い想像だ。

んじゃなんで人間狩猟採集生活を続けるんじゃなくて農耕なんて厳しい道を選んでしまったのかというと、マーヴィンもジャレドも大型哺乳類を食い尽くしてしまったためと結論している。その証拠に、地球では過去何度も氷期と間氷期が交互に来ていたんだけど、最後の氷期の終わり(現代に続く温暖な時期)に地球上でぱったりと大型哺乳類がいなくなってしまっていて、その時期と人類が世界中に散らばった時期が重なるから、なんだそうな。
まあ、確かに地球環境の変化で大型哺乳類が絶滅しちゃったんならその他の間氷期でもっといろんな生き物が絶滅してるべきだし、極地にトナカイやらセイウチやら大型の野生哺乳類がわりかし残っているのも、そこに人類の進出が遅れたからなんだろうなあ。

その後の農耕の始まりについて、ユーラシアと南北アメリカなどの新世界で異なる過程をたどったんだけど、この説明もまたマーヴィンとジャレドでそっくりなんだ。

テワカンにおける動物の家畜化は、ヒユやトウモロコシの栽培と完全に歩調を合わせて進んだわけではなかった。その理由は簡単である。すなわち、馴化可能な群居性動物が、気候の変化と乱獲の結果、この地域ではすべて絶滅してしまったからである。テワカンの人びとは、肉が食べたい場合には、獲物―主なものをあげると、森に住むシカ、ウサギ、カメ、その他の小動物や鳥―の季節ごとの修正に応じて身軽に移動する必要があった。だからこそ彼らは、中東の種子採集民が家屋や焼き穴、貯蔵設備に対して注いだような努力を怠ったのである。
(ヒトはなぜヒトを食べたか 3 農耕の起源)
※テワカンはメキシコあたりにある盆地
長々引用したけど、要は南北アメリカでは大型哺乳類がいなくなって家畜化できる生き物がいないのがユーラシア・アフリカとの違いだって言ってる。これ、ジャレドの意見そっくりだよね。ジャレドの本ではこのことについて色んな所で言及しまくってるからすぐには引用できないけど。
これも、文明史を語る人々の間では共通認識なんだと思う。

で、ユーラシアと南北アメリカでこのように農耕へと移行する時期がわかれたのはわかったんだけど、一方その頃我が日本ではどうなっていたのかというと、つい最近まで狩猟採集民やってました。

いやコレほんと。縄文時代というか、新石器時代の幕開けは世界でも先頭集団だったらしいっす。土器を作って定住して・・・とか。でも農耕は遅々として進まず、最後に縄文文化が終了したのは北海道で擦文文化が興る7世紀くらい。畜産にいたってはついに定着することなく工業化の時代を迎えました。人類史的なスパンでものを見ると、日本人って決して農耕民じゃなく、狩猟採集からいきなり機械化文明に変わっていったっていうほうが近いかも。

この現象の原因をマーヴィンやジャレドの著作に求めるとするならば、自然から採れる食物を食い尽くしていなかったため、農耕に移行する必要がなかったから、という話になる。これは正しいだろうか。

日本では大型哺乳類は早くから潰えてしまったんだけど、その代わり貝塚とかみて分かる通り、動物性タンパク質は魚介類をふんだんにとっていた。畜産が最後まで流行らなかったのも、魚介類が豊富だったんで狩猟生活(漁労だって狩猟の仲間だよな)から苦労して切り替える必要性を感じなかったんじゃないのかと。そういうわけで、マーヴィン・ジャレドのロジックは日本でも通用しそうな気がする。

ちなみに、日本で仏教が流行ったから肉食をしなくなり畜産が廃れたっていうのは因果関係が逆で、畜産を必要としなかったから獣肉食を禁忌とする風習が定着したんじゃないかと思う。このロジックについては後で説明する。

食物禁忌とその背景

ここまで、マーヴィンとジャレドの類似点をつらつらと挙げたんだけど、もりろん両者でそれぞれ記述していない部分もある。今回はマーヴィン側の感想なんで、ジャレド側に書いてない部分について思ったことを書いてみる。

一番の相違点は、タイトル通り食人の風習についての起源の説明なんだけど、これは前回も書いたとおり、アメリカ大陸に大型哺乳類が少なかったせいじゃね?というあまり特別な感想も抱けない平凡なものだったのでスキップ
一番おもしろかったのは、そこから出発した食物禁忌についての説明だ。イスラムで豚食べないとかヒンズーで牛食べないとかの。

マーヴィンによると、この禁忌の発祥も人食べないと同じく、食べてしまうと共同体にどのくらい不利益があるかによって選択されたものなんだそうな。ちなみにこの本では、近代以前の国家では人は食べなくても人身御供にはしょっちゅう使われてたんで、食べるのと宗教儀式のために殺すのはイコールではないよ、と注釈付ている。例えば白川静の漢字の本で言及した殷の時代の大規模な人身御供制度とかがソレな。この本でもケルトの風習についてこんな風に書いてる。

ケルト風の「首級崇拝」はローマ以前の鉄器時代のヨーロッパ全域に存在しており、したがって、現代のアメリカのなかで黒人とインディアンだけが首狩り族の子孫であるわけではないことが明らかとなる。

なんで外人はこんなかんじでつねにうまいこと言いたがるのか。おまえら洋画の登場人物か。
んで、こうした人身御供みたいな風習はなぜ行われていたかというと、征服した部族をうまく自分たちに取り込むことができなかったからだそうな。あ、この書き方は歴史を未来から見た視点だな。正確には、女性や子供はうまく教育したら自分たちの部族の生産活動に従事させれるんだけど、成人男性は殺す以外に方法がないから。

そして、法律なり警察機構なりが発達して、捕虜が一人でウガーって暴れたからって社会がびくともしなくなると、やっと成人男性も社会の生産活動に組み込めるようになったとのことだ。なるほどね〜。

そこからさらにこの本では論を進めて、アメリカ大陸以外では十分な食肉が手に入ったために食人の習慣をやめて自社会の生産活動に従事させたほうが得になったから、食人が禁忌になったんだと。うーん。ここから俺の中で納得度が下がっていく。本書の中でも食人と宗教儀式の人身御供とは違うって言ってたじゃん。人身御供させてたら社会の生産活動に従事させられないので食人をやめる利点にはならないんだけど、食人しないで人身御供だけする文化はユーラシアでも山ほどあるよね?たとえば殷はそんな感じだったし。ココらへん整合性どうなの。

んまあ話それた。とにかく豚や牛を食べないっていう禁忌も、何らかの社会の生産性への悪影響を避けるために作られたものらしい。どんな悪影響かっていうと、
豚の場合は穀物を食べて育つんで、人間と直接食物が競合するから飼育自体が推奨されなくなったんだと。この禁忌の始まりはエジプト中石器時代あたりかららしく、その後イスラエル〜イスラム世界全般に広まっていったんだそうな。
で、牛の場合は人間と直接競合しないものを食べていたんだけど、耕作に役立つから殺しちゃうと耕作できないということで、禁忌が始まったんだそうな。インドでは新石器時代までは普通に牛が食べられていたんだけど、その後大規模な旱魃で土地の再生産が困難な時期が発生し、牛肉を禁忌とする習慣が一気にひろまったと。
両方の例からみて、他の社会でも禁忌が広まりそうだけど、豚は中東〜北アフリカ、牛はインドでしか禁止されてないんだよね。例えば中国ではどちらも禁止されてない。この本ではいろいろと説明がなされてたんだけど、俺、直感的に思うには、禁忌が発生するタイミングでその地域に偶発的に社会が瀕死の状態になるくらいヤバい自然災害を被ったんじゃないかと思ってる。特にインドで紀元前後あたりに発生した旱魃とかが記録されてるらしいんだけど、エジプトでも似たような現象が起きてたんじゃないのかね?特定の地域で特定の食肉が禁忌になっているのは、災害が偶発的だからだと思う。
ただ、発生はこのように偶発的なんだけど、風習の定着に関しては、食べ物を食べないことにしても特に問題のない地域で定着していたとおもわれる。現に、ただイスラム教圏であるというだけで、災害を被っておらず自然状態もまるでちがう東南アジアも豚肉食べない。

こういう食物禁忌の原則を日本に当てはめたらどうか。日本は、特に奈良時代以降、哺乳類全般の肉を食べることが禁忌になっていった。ま、どうもカチカチ山とか見る限り山では稀に狸をとって食べたりとかはしてたみたいだけど。ただ動物性タンパクの供給は、ひたすら山や海で再生産される自然物に限られていて、畜産する生き物は食の対象になってないように見える。

この習慣の原因は、どう考えてもわざわざ畜産しなくても動物性タンパク質が確保できるからだ。特に魚が豊富にとれる。仏教の影響って言うなら伝来元の朝鮮・中国で肉食が続いているのが説明できないし、特に仏教では推奨されている牛乳がすぐに廃れたのも説明できない。それもこれも畜産があまりにも手間が掛かり過ぎる作業だったんだろう。というわけで、禁忌が定着する素地は日本には十分にあったわけだ。禁忌発生の原因については仏教に求めてもいいけど、奈良時代の仏教伝来時期になんかひどい伝染病が流行ったのが原因じゃないかと睨んでる。ほら、あの時代急に伝染病流行ったでしょ。都も遷都しまくってるし。多分人口集中が起き始めたからなんだと思うけど。
んでこれから国際化だ!畜産とか牛乳とかやりまくるぞ!ってタイミングで伝染病が流行り始めて、やっぱコレ導入するとヤバイわと思われて畜産動物の肉食禁忌が起こったんじゃないかなー。

というわけで、日本でもおおよそマーヴィンの説で話がとおるんだけど、ちょっと自説でアレンジしてみたよ。

その他言い足りなかったこと

今回の記事長すぎだろ。いろいろ思いついたけど一つの文章にならなそうなので箇条書きだけしてみる

  • 狩猟採集民の女性の出産可能年齢は20歳くらい。現在の出産可能年齢12〜14歳は、農耕による炭水化物摂取で無理やり引き下げられている可能性あり。やっぱ14からの妊娠・出産は人間には不自然
  • 母系社会といわれるイロコイ族は、実際のところ叔父から甥に権力が移る構造。世界中の母系社会っぽいところもだいたい同じスタンス。原因は戦争で男性が遠くへ行く際に、家を守るのが妻より姉妹のほうが信頼性があったから。日本の平安時代の貴族の妻問婚もこんなかんじが起源?弥生時代あたりに起源があると想定
  • 男性優位の社会の起源は人口抑制の際に行われた女児殺し。男児はいくら殺してもたいして人口抑制できない。狩猟採集社会では面積辺りで養える人口が少なく、常に人口増加に悩まされていた
  • 王の起源は食肉をみんなに振る舞うビッグマンと呼ばれる部族の長。インドのバラモンやらユダヤのレビやらもコレの類。祭祀を行うには権力と経済力が必要だった。キリスト教や仏教は祭祀に必要な物は精神性であるという定義をして、宗教者から経済力の必須性を取り除いた。中国では殷もビッグマン社会だと思うんだけど周で何が変わった?

こんな感じー。
posted by LoyalTouch at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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