2015年08月07日

アイヌ学入門 : 自然を愛するだけじゃない、超アクティブなアイヌ史

アイヌって聞いて思い浮かべることといえば俺らの年代だと10中8,9ナコルルだろう。そのほか最近はゴールデンカムイとかが有名か
総じて自然を愛する縄文人の子孫、日本版エルフみたいなの。あとなぜか小柄な少女
が、そのイメージは近世以降和人側が異文化を理解しきれないせいでつけたものらしいのだった。その実態とは、というのが今回の本の話。




壮大な歴史

うっかりすると縄文時代の人がひっそり近代まで生き残っていたイメージを持ちがちなアイヌだけど、まず歴史がダイナミック。
縄文時代が続いていたのは本土では古墳時代の終わりくらいまで(DC700年程度)、そのあと飛鳥奈良平安時代に相当する400年間が擦文時代、そして鎌倉時代あたり以降のアイヌ文化の時代と変遷していく。

この擦文時代っていうのが結構キーポイント。本土日本ではこのころ白村江の戦いに敗れ、以降大陸領土を失って島内にこもっていくんだけど、アイヌ側もオホーツク文化という大陸側の民族に追い込まれて、北海道の大部分を失う時代だったようだ。お互い厳しい時代なんだけど、なんでこんな厳しかったかと言うとこのころ気温も寒冷化してきたらしいし北の方の民族にいいようにやられる時代だったっぽい。

ところがこの後の対応の仕方が両者で全然違う。和人は大陸のことはさっぱり忘れて国風文化と荘園制度で本土だけの生活を考えるようになった一方、アイヌ人はなんと和人から農耕・紡績・製鉄を学び反攻攻勢、中世以降アイヌ文化となって最終的に15世紀あたりにはオホーツク文化人を完全に北海道から追い出し、千島や南樺太あたりのオホーツク文化人の故地まで手中に収めるというイケイケっぷり。最大勢力時代の15世紀あたりに広げた版図はこんな風になる。

ainu.jpeg
アイヌ人の方が勢力でかい。なお13世紀には和人もアイヌ人も元に攻め込まれるんだけど、和人は防衛戦に手いっぱいで目立った反攻はできなかった一方、アイヌ人は樺太を北上してアムール川流域まで攻めていったそうな。ま、あとで元に負けて和睦するんだけど。

サムライスタイルバイキング

このころのアイヌ人の遺品をみると、鎌倉時代のサムライがかぶっているような星兜にはに丸が着てるようなラメラーアーマー、日本刀装備という謎のスタイル。っていうかアイヌ人って熊の毛皮と槍で武装してるくらいのイメージだったけどサムライ装備だったんだな。
そのほか中国から持ってきた青龍刀も使っていたようだ。なんというカオス。ここらへん見ると日本版エルフっていう優美で儚いイメージからだいぶ遠くなり、本書でも書いてるけどバイキングのイメージに近づいてくる。

ちなみに擦文時代に学んでいた農耕や製鉄はアイヌ文化時代にさっぱり忘れ去られてしまったらしく、もっぱら交易(あとたぶんバイキングだから略奪)とかで武器やら鉄器やらを仕入れてきたようだ。
だからといって冶金技術が完全に失われていたわけではなく、豊富な金山や砂金を発掘しては金を精錬して売ってたとのこと。おそらく周辺文化に比べて経済的に優位を保てない技術は捨て去ったんだろう。今の日本で農林畜産業が全く流行らないようなもんだね(黄金は作ってるんで高級和牛生産だけ残ってる感じ)

そして鉄器が豊富に手に入るようになった北海道のアイヌ人は土器も作らなくなったそうな。樺太と千島のアイヌ人はまだ土器を作っていたんだけど、特に千島は土器の材料の粘土がないんで、北海道に渡って取りにいっていたらしい。このとき千島アイヌは疫病の蔓延を恐れて、北海道アイヌと直接接触しない沈黙交易を行っていたとか。沈黙交易ですよ!カルタゴとかで有名な。日本国内でもこんな風習が中世まで残っていたとは!そんであんまりにも接触しないから同じアイヌにもかかわらず北海道アイヌは千島アイヌのことを少し妖怪化しだしてコロポックル伝説を生んでしまったとか。アイヌ版サンカか?千島アイヌは。とにかく色々ロマンあふれる話だ。

見え隠れする修験道

コロポックル伝説といえばイヨマンテにならぶアイヌ独自の宗教観を示す話として有名なヤツ。アイヌの宗教観っていえば天からカムイが下りてきて食べ物を恵んでくれるのでそれを送り返して・・・というあの素朴な自然崇拝な感じのが有名だけど、本書を読んでいくとこれまた妙に和風が混じる面白い世界観だった。つーか和風っていうか修験道が混じってる。
何が修験道っぽいかというと、陰陽道と仏教と自然信仰がないまぜになったカオスな感じ。アイヌ文化と陰陽道とか何それって感想を抱くと思うけど、本書で仔細に説明のあるとおり、アイヌが行進しながら祝詞を唱える呪術と陰陽道の反閇がかなり似てるんだそうな。へー。
仏教から仕入れた世界観もほんのり見えていて、アイヌ語では地獄のことを「iwan poknasir」(6層目の地下世界)というそうなんだけどこれなんで6っていう数字が入ってきたかっていうと仏教の六界だよね。
こういうのってどっから伝わってきたかっていう話なんだけど、修験道といえば前節で触れた製金技術。金山を発掘して金を生成する技術は修験者が優れていたらしいんだけど、こいつらは10世紀あたり、ちょうど奥州藤原氏の最盛期に東北地方で大活躍していたんだそうな。そして修験道の道具は北海道の日高地方あたりでも結構発掘される・・・これは修験道が製金技術とともアイヌのかなり奥地まで入り込んでいたことを思わせる。アイヌの祭器のお椀と箸っていうセットもこれ修験道から来たものなんじゃないの?ここまで考えると、アイヌが文字をまったく持っていなかったというのも疑問に思える。日常で使わなかっただけで、梵字や漢字で呪符は作ってたんじゃないか。まあ神官しか使わなかったとは思うけど。




posted by LoyalTouch at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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